秀次の肖像画の視線は、こちらを睨んでいました。
その意味を考えて行きたいのですが、それにはまず彼の人生を知らないといけません。
一体、どんな人物だったのでしょうか。
秀次は、秀吉の甥でした。
秀吉に子がなかったことから、彼の後継者として一旦は「関白」の座を譲られます。
しかし、秀吉に子ができると、次第に疎まれるようになります。
そしてついに、謀反の嫌疑をかけられ、高野山に移されます。
彼は無罪を主張しますが、通りません。
諦めたのでしょうか。彼は家来と共に自害をして、果てます。
享年二十八の若さでした。
一旦は関白まで上り詰めた人物の悲劇の死。死後、彼には「殺生関白」という不名誉な綽名さえ付けられます。
今では、茶の湯、連歌、和歌などにも通じたかなりの文化人であったことがわかっていますが、それでもその名で呼ばれることがあり、これは一旦ついたイメージや呼び名がいかに変わりにくいものかを教えてくれる好例と言えるでしょう。
2件の返信
怨念、、の視線でしょうか?
その肖像画を拝見したいと思います。
続きも楽しみにしております!
確かにそうなのですが、実はもう少し複雑な事情があります。
お楽しみに!!!