「です・ます」歌の変遷

前回まで「です・ます」歌を通して見えた、「です」と「ます」の違いを見てきました。今回は「です・ます」歌の変遷について述べてみましょう。

まず最初期の1910年から20年代は、童謡の季節です。北原白秋や西条八十といった詩人たちが作詞した歌に「です・ます」歌が見られます。代表例としては、北原白秋の「ペチカ」(1925)がありますね。「雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ じき春きます」の最後に「ます」が見えます。この頃の特徴は、春を待つ歌にその例が多いことです。

そのあと70年代まではセリフのような中で多く使われました。代表例は野村俊夫作詞の「東京だよ おっ母さん」(1957)で、「観音様です おっ母さん」という部分に「です」が見えます。また星野哲郎作詞の「男はつらいよ」(1970)では冒頭のセリフに「です・ます」がありますね。「私 生まれも育ちも 葛飾柴又です 帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します」というものです。

ですが、70年代以降には大きな変化が起こります。歌謡曲やJ-POP、ニューミュジックといった新しいジャンルの歌が次々と作られ、その中で新しい表現として「です・ます」が使われ始めました。代表的なのは、前に挙げた阿久悠作詞の「カルメン’77」や、松本隆が作詞した「風をあつめて」などが挙げられます。「風をあつめて」(1971)では「街のはずれの 背伸びした路次を 散歩してたら 汚点だらけの 靄ごしに 起きぬけの 路面電車が 海を渡るのが 見えたんです それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです 蒼空を」という風に使われています。

大きな変化として、男女関係の変化がこの頃見られます。つまりは、告白する女性が出てきたり、弱い男性が出現したりするのです。こうした新しい人物のセリフのような告白に「です・ます」が使われました。これは、まるで太宰治の小説のようですね。

以降、現在まで大きな変化は見られないというのが分析の結果でした。ともかく全時代を通じて「です・ます」歌に共通するのは、告白、報告などの箇所で使われることが多いことや、少し時代より先駆けている、もしくは遅れている(取り残されている)人物に使用されることが間々見られることでした。
丁寧語である「です・ます」は、現在ではあまり意識されることはないかもしれませんが、少し前まではこの表現がかなり特殊であり、また特別なものであったことがわかると思います。

本日も読んでくださってありがとうございました。
引き続きよろしくお願いします。

3件の返信

  1. rain lily より:

    今回も大変面白く読ませていただきました😊!

    なるほど、年代によって使われ方が変化してきたのですね。特に70年代以降の男女関係の変化によるもの、フェミニズムの影響でしょうか?面白いですね。そして全時代を通じて「です・ます」歌に共通する特徴について、面白く読ませていただきました。😊

    「です」調で歌う男性には「優男」のイメージがありますよね?「弱い男の出現」でしょうか。

    その前の時代では、男性が女性に告白するときには「好きです」ではなく、「好きだ!」だったのでしょうか?😊

    • コメント、ありがとうございました。
      そうですね。二つのパターンがあると思います。
      一つはあまり恋愛に興味がなく、淡々とした描写というか報告に使われる場合。
      もう一つが、優しい男の場合ですね。

      それまでは、もう「俺の背中だけ見て、黙って俺についてこい」ですかね。。。演歌っぽいものですね。
      歌では女性に媚びるような場合はなかなか出てきませんね。最近は随分と変わってきましたが・・・。
      今後ちゃんとわかったらご報告しますね。

      • rain lily より:

        なるほど、二つのパターンですね😊

        確かに、女性に媚びるような歌って聴いたことがありませんね。
        そんなのが出てきたら面白いですね。

        はい、ご報告を楽しみにしております🎵😊

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