「向き」「不向き」

前回、会社の仕事について少し書きました。新規ポリエステル繊維の開発業務だったことも書きましたね。まずは自分のアイディアを出し、それに必要な材料を集め、実験し、製品にまでしていくお仕事で、ある意味でとても創造的な仕事でした。そこでは特許も6年間で12件取得することができました。

ですが、私にとっては全くと言っていいほど創造的ではなかったのです。結論から言えば、この仕事をいくら続けていてもニュートンやアインシュタインに並ぶことはもちろんのこと、彼らを超えることは到底できないことが痛いほどわかったからです。
理系の分野では、多くの場合、すでにあるいろんな法則を使いながら、その理論に従って実験などを行なっていきます。私にはそれが耐えられなかったのです。どうしてもニュートンやアインシュタインの奴隷のような気がして。自分にそれだけの能力がないだけなのに、とても不遜な考えですね。
もちろん自分で「岩井の法則」というものを作れればいいのですが、そんな能力も実力も機会も私にはありませんでした。したがって、人の真似をするのが、あるいは人と同じと言われるのをもっとも嫌っていた私には、毎日が苦痛の連続だったわけです。

もう一つ私を苦しめていたのは、一人で考えたり、実験できないことでした。自分のアイディアを出すところまではいいのですが、あとは一人では到底できません。高額な実験装置なども必要となってきます。関わる人の数も膨大になってきます。要するに、一人の力ではほとんど何もできないのです。
それに当時の私は、今では考えられないことですが。・・・極度の人見知りで、対人恐怖症だったこともあり、人と仕事をするのが苦痛でたまりませんでした。なんとか一人でできる仕事はないのか、それを探していたのです。

その頃です。文系の学問だと、特に日本文化研究だと、自分だけでテーマから論文や本まで仕上げることができるということがわかってきました。そこに非常に惹かれたわけです。

ですから今も心がけているのは、人と同じテーマは極力しないこと、人とは違う方法で一人で答えまで出すことを心がけています。

人には「向き」「不向き」があると思います。創造的なものが好きで、その点では会社の仕事は自分「向き」だったと思います。ですが、その環境や時期が「不向き」でした。

それがわかったからこそ、理系から文系へと文転したのです。自分が本当に欲しているものを見つけるのはとても難しいことですが、私は幸いにもそれを見つけることができました。結果論ではありますが。この点では幸せだったと思います。自分に向いていることを見つけるまで、私を支えてくださり、あたたかく見守って応援してくださった周りの方々には、今でも本当に感謝しています。

自分の「向き」「不向き」を知ること。これは自分自身を知ることでもあります。できればそれをしっかりと分析して、自分の向いている職業に就くことを強くおすすめします。

今回も読んでくださってありがとうございました。
次回以降もよろしくお願いいたします。

3件の返信

  1. rain lily より:

    リクエストにお応えいただきありがとうございました😊

    自分の「向き」や「不向き」を知ることは難しいですが、大切なことですね。おっしゃるように、環境や時期にも左右されますしね。そして向いている職業に実際に就くことはもっと難しいことのように思います。

    先生は環境と運に恵まれた方だと思いますが、何より才能がおありだったのだと思います。しかも文理両道❗️
    もちろん並々ならぬご努力もあったと思います。6年間で特許12件とは、すごいです😊👍

    • いえいえ、いつも読んでくださっているので、リクエストに答えてみました。
      これからもリクエストがあれば、遠慮なくおっしゃてくださいね☺️
      私のこんなことが知りたい、もっと詳しく書いてほしい、などなんでも構いません。
      よろしくお願いいたします🙇‍♂️

      • rain lily より:

        おはようございます😃
        それでは更なるリクエストですが、先生の人見知りと対人恐怖症の原因について、その原因を先生はどのように自己分析されているかをお聞かせください。背が低かったこと、髪型のコンプレックスと生まれながらの性格によるものでしょうか?
        またそれをどのように克服されたか教えていただけますでしょうか。
        よろしくお願い致します😊

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