「痴漢天国」「痴漢大国」という言説形成

日本は「痴漢天国」、「痴漢大国」と言われることが間々あります。確かに毎日のように「痴漢」が起こっています。ある意味でそう言われても仕方のないことでしょう。

では、こうした言説はいつから起こったものなのでしょうか。それについて述べる前に、まず確認しておきたいのが、以前投稿した「痴漢」という語の意味変容の時期です。現在私たちが使っている「痴漢」の意味が一般的に定着し出したのは、1920〜30年代のことでした。完全に定着するのは戦後のことになります。ですから、こうした言説も戦後のこととまずは考えられるでしょう。

では、その要因はというと、ずばり「日本の国際化」です。日本は1964年4月1日に海外旅行の自由化制度が制定されます。この頃から海外からの渡航者も一気に増加します。その1964年にはあるイギリス人が「この国では痴漢がまるでスポーツのように平気で行われている」という風なイギリス人らしい表現で痴漢現象を表現しています。そのタイトルが「痴漢天国、ニッポン」というものでした。このことから分かるように、すでに1964年時点では痴漢が横行していたことがわかります。それも電車内で。

これ以降、同様の言説よく見られるようになります。とりわけ留学生や、日本で働くために来た外国人たちの被害と訴えが多いです。そこに共通するのは「なぜ犯罪が少ないと言われている日本で、こんなことが平気で行われ、犯罪として認められていないのか」という言い方でした。つまり、日本の「安全神話」というのがその根底にあるわけです。「日本は安全なはずだ。なのになぜ痴漢がたくさんいるのか」、その信じ難いギャップが彼らには、どうしても理解できなかったのでしょう。

日本は明治時代から交番制度などによって治安の良い国とされてきました。そのイメージが外国の人にはあったのでしょう。特に日本語を学ぶ人や日本語で仕事をする人には。
ですが、彼らが多く来日するようになった1960年代以降、日本は高度成長期に入ります。1980年代には「ジャパン・アズ・No.1と言われるまでに経済が発展し、国際的な知名度も上がります。世界からの注目度も格段に上がったわけです。
それに加え、当時の電車の混雑率は今とは比較にならないくらい高かったと言います。500バーセント以上だったという記録もあるくらいです。そこでは実際痴漢が横行していたのですが、当時の日本では特に週刊誌が問題視もせず、逆に面白おかしく書き立てていました。
今の私たちには信じられないことですが、この頃はまだお触り的な可愛げのあるイタズラとしての認識しかなかったようです。

そうした状況が変わるのは1990年代になってからです。きっかけは1989年に起こったいわゆる「御堂筋事件」ですが、それ以降、日本でも女性の人権がようやく重視され始め、女性専用車両の設置や、防犯ポスターの掲示などの対策が取られるようになったのです。

痴漢自体はどこの国でも多かれ少なかれあるものです。特に都市化をすると、痴漢が増えます。ですが、日本が「痴漢天国」や「痴漢大国」と言われるのには、日本の「国際化」と「安全神話」が必須だったのです。

この二つ要因にあと一つ要因を付け加えるとするなら、日本には性的な文学やゲームや映像コンテンツなどがたくさんあって、ある意味で野放しにされている「卑猥なことに寛容な国」だというイメージが醸成されたということが挙げられるでしょう。実際、昔から週刊誌やスポーツ新聞には女性のヌードや卑猥な小説などが必ず掲載されていましたしね。ですからこれも近年に始まったことではありません。これも他国から見ると異常なことでした。週刊誌やスポーツ新聞、またその記事を紹介する吊り革広告なども外国の人から見れば異常だった訳ですし、だからこそ痴漢も許されている国だという認識を生んだのだと思います。

この三つの要因が重なったため、1960年代に始まった言説が語り継がれ、現在に至るのです。逆に言えば、こうした要因が重なって起こらなければ、日本は「痴漢天国」や「痴漢大国」とは言われなかったに違いありません。日本としては、早く払拭したい表現ですし、イメージですね。それに向けての法整備などの対策などももっと真剣にするべきだと思います。
前に書いたように、私もひどい痴漢被害に遭ってきました。一件でも痴漢被害がなくなるよう日々祈っています。

ということで、「痴漢」に関する説明は一旦置くことにします。また何かの折に触れるかもしれませんが。

今日も読んでくださってありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。

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