私には少し変わった経歴がございます。理系から文系へ転身したこと、今は研究者ですが昔は会社員として働いていたこと、タイで6年ほど教えたこと、など普通の研究者といくつか異なったところがありますが(これらについては追い追い書いていきたいと思います)、今日はあまり人には話していないというか、履歴書には通常書かないような経歴についてお話しいたします。私の黒歴史かもしれません。
実は私はわずか2年ほどですが、舞台役者をしておりました。具体的には30歳から32歳の時のことです。勤めていた繊維会社(ユニチカ株式会社)で6年勤務した後、文転したのですが、その時に劇団にも入団いたしました。
その劇団は少し変わっていました。名古屋の劇団だったのですが、夏にオペラやオペレッタ、冬には歌舞伎を一か月間、日に二回ずつ公演いたします(各60回公演)。特に歌舞伎は三味線音楽ではなく、ロックを主に、時にクラッシック音楽も使うという「ロック歌舞伎」と銘打った歌舞伎でした。
劇団の名前は「スーパー一座(いちざ)」。今は劇団の創始者であった岩田先生が亡くなったのでもうこの劇団は存在しません。
主に名古屋の大須演芸場(名古屋では有名な演芸場)を舞台として活動をしていたのですが、時々地方公演というものもあり、いろんなところへも行きました。
ここに入った理由は変わっていて、面白そうな劇団だな、と思ったというのが一番の理由です。この劇団ならお客さんを楽しませることができるのではないか、と信じて入団いたしました。
最初は新しい経験ばかりで楽しかったのですが、徐々に苦しくなってきました。というのも、自分が役者に向いていないということが、徐々にわかってきたからです。
特にお客さんからお金をいただいているのに、この低い芸のレベルしかできない自分が自分で見えてきて、本当に自分が嫌になりました。もちろん稽古では、高い芸を身につけ、お客様に見せるための努力はしたつもりなのですが・・・。どうしてもうまくいかなかったので、2年で辞める決意をした次第です。
今となっては挫折といいますか、失敗談ではありますが、ここで発声法や表現法といった技術や、歌舞伎などの芸能について色々と学ぶことができたのは、その後の教師という職業にとっても決してマイナスではなかったと思います。人を喜ばせたり、物事をうまく伝えたりする技術の一端は習得できた気が今はしています。
本日も読んでくださってありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。
2件の返信
こんにちは!今回の先生のご経歴も意外でしたが、イケメンですらりと脚の長い先生ですから、容易に役者姿が想像できました😊❣️
黒歴史なんかでは全くないと思います。色々なご経験をされて、豊かな人生でいらっしゃると思います。
それにしても、「ロック歌舞伎」とは、変わった劇団ですね😊
顔やスタイルはダメなんですけど、当時は、何か自分で表現できるものはないかと必死に探していた時期でした。
芝居は結局諦めましたが、勉強にはなりました☺️
私の人生は消去法なので、色々と時間がかかります☺️
「ロック歌舞伎」というところに惹かれたところはあります。
何か今までとは違うことができるような気がして・・・。
変わった劇団で、特に名古屋では有名な劇団でしたし、ファンも多かったです☺️
あくまでも私のファンではなく、劇団のファンですが・・・☺️
いつもありがとうございます🙇♂️
コメント、とても嬉しいです!!!