前回、「痴漢」という語に対して大きく三つの疑問があると言いました。
今回はその一つ、長い間、この語がどうして中国の書物にほとんど出てこなかったのか、という問題についてです。
この言葉を中国の書物で集めてみると(ひたすら漢字で書かれた膨大な中国の書物を読んで集めました)、どれも会話中に使われていました。つまり、この言葉は元々話し言葉、つまり口語であったのです。また俗語であり罵倒語ですから、会話が記される場合でも儒教などの上品な言葉を使った書物(例えば『論語』など)にはまったく出てきません。
こうした調査の結果、たくさん出てくるのは禅の問答集が早い例であることがまずわかってきました。ここには多くの「痴漢」という語が使われています。
かなり時代が下りますが、次にたくさん出てくるのは、『水滸伝』『三国志』『紅楼夢』などのいわゆる明清時代の口語体小説(これらを「白話小説」といいます)でした。
そうした書物の中で、相手を否定、罵倒する言葉として、「馬鹿者」という意味の「痴漢」という語がたくさん用いられていたのです。
禅は時に修行の足りていない者を全否定しますから、この「痴漢」という厳しい言葉が使われたのだと思います。
他方、白話小説では荒くれ者たちが汚く相手を罵る言葉として「痴漢」という語が用いられていました。
以上からわかるように、中国語では「痴漢」は元々口語であり、かつ俗語(雅語ではない非俗な言葉)だったので、歴史書や儒教の書物など一般的で正式とされる書物には掲載されなかったのです。また話し言葉なので口頭で日本に伝わることもなかったのでした。
ただし、禅の語録としては鎌倉時代以降、日本にも伝わっており、少なくとも禅の世界では認識語彙であったと思われます。
ですが、広く庶民に広まるのは、17世紀から起こった「白話小説ブーム」によってでした。江戸時代、『三国志』や『水滸伝』などが多く読まれ、それが山東京伝や滝沢馬琴、式亭三馬などによって日本風に改変されたりしていく過程で、「痴漢」という語が、日本では主に書き言葉として一気に広まり、そして定着していったのです。
次回は「痴漢」が、どのくらいの時期から意味変化を起こすのか、その原因とともに考えてみたいと思います。
少し難しい話が続くように感じられる方もおられるかと思いますが、そこは我慢していただき、引き続き読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
4件の返信
なるほど、「痴漢」は元々口語であり俗語、「相手を否定、罵倒する言葉」だったのですね。今の言葉で言えば、「馬鹿野郎」くらいの感じでしょうか?😅
そうですね☺️
中国語は今でも書き言葉と話し言葉の間に大きな差があるようで、私たち日本人が思うよりももっと大きな違いといか差別化する意識があるようです。
日本も雅語と俗語という区別がありましたが、それよりも大きいようです☺️
いつもいい感想をくださり、本当にありがとうございます🙇♂️
引き続きよろしくお願いいたします🙇♂️
中国語、そうなのですね!
とても勉強になります。こちらこそ、面白くて為になるお話をありがとうございます😊
ところで先生、中国行きが急遽、お決まりになったようですね!?
いえいえ☺️
そうなんです!!!
本当に急遽決まったんです!!!
頑張ってまいります☺️❤️